未来型オンライン学習における学習者の主体性:その測定と育成戦略
はじめに
オンライン教育が大学において常態化する中で、学生の学習効果を最大化するために、学習者の主体性(Learner Agency)の重要性が改めて認識されています。対面授業と比較して、オンライン環境では学生が自身の学習を計画し、実行し、評価する自己調整学習能力に加え、学びに向かう意欲や、困難に直面しても粘り強く取り組む姿勢といった主体性がより一層求められます。しかし、学習者の主体性は目に見えにくく、どのように測定し、いかに効果的に育成するかが、多くの大学准教授にとっての課題となっています。
本稿では、未来型オンライン学習環境において、学習者の主体性をどのように捉え、測定し、そして教育設計や支援を通じて育成していくかについての戦略を、学術的な知見に基づきながら実践的な視点から考察します。
学習者の主体性とは何か
学習者の主体性(Learner Agency)は、単に与えられた課題をこなすこととは異なります。これは、学習者が自身の学習目標を設定し、その達成に向けて能動的に関与し、必要に応じて自身の学習プロセスや環境に働きかけ、困難を乗り越えながら学びを進める能力と意欲の複合体として理解されます。具体的には、以下のような要素が含まれます。
- 自己調整力: 目標設定、計画立案、実行管理、振り返り、修正といった学習プロセスを自身でコントロールする能力。
- 内発的動機づけ: 知的好奇心や探究心から生まれる、自らの意思による学習への駆り立て。
- レジリエンス(粘り強さ・GRIT): 困難や失敗に直面しても諦めずに粘り強く目標に向かって努力し続ける力。
- 主体的な関与: 授業活動への積極的な参加、質問、意見表明、ピアラーニングへの貢献など。
- 自己効力感: 特定の課題や状況において、自身が成功裏に行動できるという自信。
オンライン環境では、物理的な拘束が少ない分、学習者が主体的に学習を進めるための自己管理能力や内発的な動機づけがより重要になります。一方で、孤立感やモチベーションの低下といった課題も生じやすく、主体性の維持・向上を意識した教育的な介入が不可欠です。
オンライン環境における学習者の主体性の測定
学習者の主体性を直接的に測定することは容易ではありませんが、様々な角度からその兆候や関連要素を把握する試みが行われています。大学のオンライン教育で活用可能な主な測定アプローチには以下のようなものがあります。
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自己報告式尺度:
- 学習者の自己調整学習能力、動機づけ、自己効力感、GRITなどを問う質問紙調査。標準化された尺度が多数存在します。
- 利点:比較的容易に実施でき、学習者自身の認識を捉えられます。
- 課題:回答の正確性や社会的望ましさによるバイアスの影響を受ける可能性があります。オンライン授業受講前後の変化を追跡するなどの工夫が有効です。
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学習活動データの分析(ラーニングアナリティクス):
- LMS(学習管理システム)やその他のオンラインツール(ビデオ会議システム、フォーラムなど)における学習者の行動ログデータを収集・分析します。
- 例:
- コンテンツへのアクセス頻度と深度(特定のコンテンツに繰り返しアクセスしているか、深く読み込んでいるか)。
- 課題提出状況とタイミング(期限内に提出しているか、提出が滞りがちか)。
- フォーラムやディスカッションボードでの発言回数、内容の質、応答性。
- オンライン会議での発言やリアクションの頻度。
- 任意参加の補助教材や追加資料へのアクセス状況。
- 利点:客観的な行動データに基づき、実際の学習プロセスを把握できます。リスクのある学生の早期発見にも繋がります。
- 課題:データの解釈には注意が必要です。単にアクセス数が多いことと主体性は必ずしも一致しません。行動の背景にある意図や質を捉えるためには、他のデータと組み合わせる必要があります。
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成果物を通じた評価:
- レポート、課題、プロジェクト、ポートフォリオなど、学習者が作成した成果物から主体性を読み取ります。
- 例:
- 課題に対する独自の視点や発展的な内容の追加。
- 複数の情報源を参照し、批判的に分析した形跡。
- 困難な問題に取り組む際の試行錯誤のプロセス(ドラフト、メモなどから)。
- ポートフォリオにおける自己評価やリフレクションの深さ。
- 利点:深い学びや創造性、問題解決能力といった主体性の結果としての側面を捉えられます。
- 課題:評価者の解釈に依存する部分があり、評価規準(ルーブリック)の明確化が重要です。
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観察と対話:
- オンラインでのグループワーク、ブレイクアウトルームでの議論、個別面談(オフィスアワーなど)における学習者の様子を観察し、対話を通じて主体性を把握します。
- 利点:学習者の思考プロセスや感情、モチベーションといった、データや成果物からは見えにくい側面を深く理解できます。
- 課題:実施に時間と手間がかかり、観察者の主観が入る可能性があります。
これらの測定アプローチは、それぞれに限界があるため、複数を組み合わせた多角的な評価が主体性の全体像を捉える上で効果的です。例えば、自己報告式尺度で学習者の認識を把握しつつ、ラーニングアナリティクスで実際の行動を確認する、といった方法が考えられます。
学習者の主体性を育成するオンライン教育戦略
測定を通じて学習者の主体性の現状を把握した上で、それをいかに育んでいくかが重要な教育的課題です。オンライン環境の特性を活かし、またはオンライン環境で生じがちな課題を克服するための育成戦略をいくつか提案します。
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学習目標の明確化と自己設定の支援:
- コース全体の目標だけでなく、各モジュールや課題における具体的な学習目標を明確に提示します。これにより、学習者は何を目指せば良いのかを理解しやすくなります。
- さらに、提示された目標に加え、学習者自身が関連する個別目標を設定することを奨励・支援します。目標設定シートの活用や、教員との個別相談の機会提供などが有効です。自身で目標を設定することで、学習へのオーナーシップが高まります。
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学習プロセスの可視化と振り返りの促進:
- LMSの進捗管理機能などを活用し、学習者が自身の学習状況をいつでも確認できるようにします。
- 定期的に学習プロセスや成果について振り返る機会を設けます。リフレクションシート、オンラインジャーナル、ピアレビューなどが考えられます。
- リフレクションを促すための質問例:「このモジュールで最も学んだことは何か?」「難しかった点は何か、それをどう乗り越えたか?」「次にどのようなことに取り組みたいか?」「この学びは自分の将来にどう繋がるか?」
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多様な学習経路とリソースの提供:
- 画一的なコンテンツ提供に留まらず、様々な形式(テキスト、動画、音声、シミュレーションなど)の教材や、異なる難易度・アプローチの発展的なリソースを提供します。
- 学習者が自身の興味や理解度、学習スタイルに合わせて最適なリソースを選択できるような自由度を持たせます。これにより、自己主導的な学習を促進します。
- 「不登校オンライン学び図鑑」で紹介されているような多様な未来型オンライン学習モデル(例:アダプティブラーニング、マイクロラーニング、PBLなど)を参考に、コース設計に多様性を取り入れることが主体性育成に繋がります。
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効果的なフィードバックと承認:
- 学習者の成果物や活動に対して、単に正誤を伝えるだけでなく、具体的な改善点や良かった点を指摘する質の高いフィードバックを迅速に行います。
- 特に、学習プロセスにおける工夫や、困難に粘り強く取り組んだ姿勢などを承認し、励ますことが重要です。
- 自動採点ツールやルーブリックを活用しつつ、教員やTAによる個別フィードバックの機会を確保します。ピアフィードバックを取り入れることも、主体的な学び合いを促します。
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安全で主体的な参加を促す学習コミュニティの設計:
- オンラインフォーラムや非同期コミュニケーションツールを活用し、学生同士が自由に質問したり、議論したり、情報交換できる場を意図的に設けます。
- 教員はファシリテーターとして介入し、全ての学生が安心して意見を述べられる心理的安全性の高い環境を醸成します。
- 小グループでの協調学習やプロジェクト型学習(PBL)をオンラインで実施し、学生が互いに刺激し合い、協力して課題解決に取り組む中で主体性を発揮できる機会を増やします。
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失敗を恐れず挑戦できる文化の醸成:
- 評価方法を工夫し、最終的な成果だけでなく、学習プロセスにおける努力や挑戦を適切に評価に反映させます。
- 失敗は学びの機会であることを伝え、挑戦したこと自体をポジティブに評価するメッセージを発信します。
- 「成功事例」だけでなく、困難をどのように乗り越えたか、失敗から何を学んだかといった「プロセス事例」を共有する機会を設けることも有効です。
成功事例の分析と応用可能性
(架空の事例として記述します)
ある大学の情報科学系オンラインコースでは、学習者の主体性向上を目指し、以下の施策を導入しました。
- 目標設定ワークシートと個別相談: 各モジュール開始前に、学生自身が「何を、なぜ学びたいか」「最終的に何ができるようになりたいか」を記述するワークシートを提出させ、初回提出時には教員やTAが個別にフィードバックや助言を行いました。
- 学習ダッシュボード: LMSに個人の学習進捗、提出状況、フォーラム活動への貢献度などを可視化するダッシュボードを導入しました。自身の学習状況を客観視することで、自己調整を促しました。
- 「挑戦ログ」の提出: 難しい課題に取り組む過程で、どのような情報源を参照し、どのような試行錯誤を行ったかを記録する「挑戦ログ」の提出を任意で求め、提出者には個別のコメントフィードバックを提供しました。
- ピアレビューとグループワーク: 全ての課題で匿名または記名でのピアレビューを必須とし、学期中に2回のグループプロジェクトを実施しました。グループ内での役割分担や進捗管理は学生に委ねられました。
これらの施策の結果、学期末のアンケートでは、多くの学生が「以前より計画的に学習に取り組めるようになった」「難しい問題にも粘り強く取り組めるようになった」「自分の意見を積極的に発言できるようになった」と回答しました。ラーニングアナリティクスデータからは、コース後半になるにつれて、発展的な資料へのアクセスが増加する傾向が見られました。「挑戦ログ」を提出した学生群は、提出しなかった学生群と比較して、最終課題の成績が高い傾向が認められました。
この事例から得られる示唆は、主体性育成には「自己認識の促進(目標設定、ダッシュボード)」「プロセスへの着目と承認(挑戦ログ、フィードバック)」「他者との関わりを通じた動機づけ(ピアレビュー、グループワーク)」が重要であるということです。これらのアプローチは、情報科学に限らず、他の分野の大学オンライン授業にも応用可能であると考えられます。例えば、人文科学系のゼミ形式オンライン授業であれば、研究テーマの自己設定支援、論文執筆プロセス(リサーチ方法、構成案作成など)に対する個別フィードバック、オンラインディスカッションにおける多様な意見の尊重と深い議論へのファシリテーションなどが応用として考えられます。
結論
大学オンライン教育における学習者の主体性育成は、学生の学習効果を最大化し、変化の激しい社会で自律的に学び続ける能力を培う上で不可欠です。主体性は多面的な概念であり、その測定には自己報告、学習活動データ、成果物、観察といった複数のアプローチを組み合わせることが望ましいです。
主体性を育むためには、学習者が自身の学びを「自分ごと」として捉え、目標設定から振り返りまでを主体的に行えるよう、教育設計段階から意図的な仕掛けを組み込む必要があります。具体的には、学習目標の明確化と自己設定支援、学習プロセスの可視化と振り返り促進、多様な学習リソースの提供、質の高いフィードバック、主体的な参加を促すコミュニティ設計、そして挑戦を歓迎する文化の醸成などが有効な戦略となります。
これらの戦略は、ラーニングアナリティクスや様々なオンラインツールを活用することで、より効果的に実施することが可能です。大学准教授の皆様が、本稿で述べた主体性の測定・育成戦略を参考に、それぞれの専門分野やコースの特性に合わせた実践を重ねられることを願っています。未来のオンライン学習は、技術の進化だけでなく、学習者の主体性をいかに引き出し、育むかにかかっていると言えるでしょう。